今私達は育てられてきた「大地」と「歴史」
今日も花粉が沢山飛んでいるようだ。くしゃみが10回くらい連発で止まらない。くしゃみで4回目のぎっくり腰になってしまったらと思うと、・・・。それにしても、くしゃみは体全体を使うものだと実感している毎日である。
今日の日めくりは、「毎日の仕事にベストを尽くそう!」
昨日は、まずは事務処理。その後、浄化槽から下水に変える工事が始まった為、立会い。そして、改造工事のお客様の所へ打合せ。そして事務処理。午後から幼稚園の評議委員会。今回の議題は結構な問題。自分の考えで投票。後はどうなるのか?その後、幼稚園の懇親会の打合せ。そして、事務処理。
今日は、まず、事務処理、下水の工事の汲み取りの段取りをして、現場へ。そして、外構工事の現場へ。そして、事務処理。建材屋さんと打合せ、昼食。昼食後、増築工事のお客様の所へ打合せ。そして事務処理。
大江憲成さんのエッセーを読む。
多くの人々が言い始めた。世の中、どこかおかしい。・・・・、地道にコツコツ生きていく事がアホらしく思われていく。・・・・・・気がついたら地方に人がいなくなり始めた。都会は地方抜きで生きていけると錯覚しているかのようだ。山が荒れると海が崩壊する。山の木々が無くなると海の魚がいなくなる。・・・・・・・・・・世の中、どうもおかしい。地球もおかしい。しかも、危機の中にありながらそのこと自体に誠に鈍感であるという二重の危機の中にいる。親は子供を貧乏な中から育てていった。育てられた子供は親に向って、子供に頼るな、老後は自立せよと威張って言う。自己責任ということなのだろうか。・・・・・何かが欠けている。・・・・・・・・・・・そうだ。今私達は育てられてきた「大地」と「歴史」に目を閉じて、自分の思いを全てとして生きようとしている。だから、自分自身、ひ弱で不安なのだ。そうだ、大地が見えなくなっている。歴史の御恩に鈍感になってしまっている。大地があるから、足を踏みしめることができる。だから、人間は歩いていける。大地があるから、人間は安心して倒れる事も出来る。だから倒れても大丈夫なのだ。ところが今、大地を見いだせず、安心して倒れる事が出来なくなってしまっている。・・・・・・・・・・。
上記のエッセーを読んで、凄く感じるものがあった。自己中心的な考え。自分さえ良ければ後はどうなっても構わない。と言う人々が増えている。感謝の気持ちで生きる事は本当に大切である。


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